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ゲームビジネスアーカイブ 第5回トークライブ・中裕司氏視点のセガSC史《前編?》

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“若き天才プログラマー”が駆け抜けたアーリー・セガコンシューマ

昔のゲーム業界、主にセガ・コンシューマ事業関係者の話を聴けるイベント“ゲームビジネスアーカイブ トークライブ”の第5回が、2018.6.27、南海東京ビルディング内カドカワセミナールーム(東京都中央区)にて行われました。

 

5回目のゲストは中裕司氏

 

当初は中氏が携わったセガのコンシューマハード全機種(1983年発売のSC/SGシリーズから1998年発売のドリームキャストまで)のゲームソフト開発エピソードが披露される予定でしたが、個々のエピソードが膨らみ過ぎて、メガドライブ(1988年)までしかたどり着けずに終わってしまいました。

 

その模様は、ライター馬波レイ氏によるファミ通.comのイベントリポート記事に詳しく紹介されています。

ここまでしっかりした記事がすでにあるのなら当サイトで改めてイベントの流れを押さえる必要はなさそうだなということで、以下に私(@gtozka)がぐっときたトピックをダイジェストで紹介します。

 

フォロー対象はセガの最初のハードSC/SGシリーズ(1983年)からメガドライブ(1988年)のローンチまでということで悪しからず(笑)。

■SC/SGシリーズ編

 

・中氏がセガに入社しパーソナルコンピュータ事業部に配属されて最初に行ったゲームの仕事は、SF-7000(3インチフロッピーディスクドライブ、RS-232C端子、Disk Basicなどを搭載したSC-3000シリーズ用拡張ユニット。通称“スーパーコントロールステーション”)用『ロードランナー』の追加ステージ制作。

 

・『ガールズガーデン』は1984年に新卒で入社したばかりの中氏が、同期入社のプログラマー・宮内氏(後に“Hiro師匠”の名でセガの数々のゲーム音楽を手がけることになる川口博史氏)とともに、「女の子に向けたゲームを」というお題で作った新人研修作品。ひとりの男の子を巡るふたりの少女のバトルもの……というストーリー設定に対して「まだ女の子をよく知らない僕が想像で作ってしまった」と振り返った。

 

・小口久雄氏企画の『どきどきペンギンランド』では、中氏はモグラ(敵キャラ)の挙動とゲームオーバー時のエフェクトのプログラミングを担当。

 

・SC/SGシリーズは、CPUにZ80、VDPにTMS9918を採用している点で、同年に規格対応パソコンがリリースされた“MSX”とほぼ同じ性能。ただしSC/SGシリーズはBIOSが入っていなかったり、ジョイスティックポートのピン配置がMSXと逆だったりで、ハードとしての互換性はなかった(※内容共通のゲームソフトは数多くリリースされている。とくに開発会社がコンパイルのタイトル)。

 

・上記に関連し、中氏が「MSXのジョイスティックを(SC/SGシリーズに)つなぐと方向キーしか動かなかった」と語った時、私は思わず「ボタンは(2ボタンのうち)1つだけ動きました!」と口を挟んでしまったが、いまになって自信がなくなってきた。実機環境がある方は確かめてみてください!

 

「『ピットフォールII』はおもしろいですよ。最高!」(中氏)

■セガマークIII/セガマスターシステム編

 

・中氏が初めて手掛けたマークIII用ゲームは『クレートベースボール』。「野球に興味がないなりにそれっぽく作り上げた」とのこと。最終的なゲームバランスは、時間が余ったので入れたおまけモード“ホームラン競争”でまったくホームランがでないことから、はじめてちゃんと調整した。「ホームラン競争を入れなかったらあれ以上のクソゲーになっていました」と笑顔で語る中氏。

 

・『スパイvsスパイ』の移植で、中氏はCPUキャラがどんな広いエリアでも脱出できるアルゴリズムを作り上げた。最初に選択できる8ステージをクリアーすると遊べるようになる追加ステージを256部屋構成にしたのは(※オリジナル版のステージは10~12部屋構成)、「そのプログラム(の出来ばえ)を見せたいがため」だったとのこと。しかしその追加ステージをプレイしたというユーザー報告を一向に見かけず「皆そこまでやらないんでしょうね」と寂しそうだった。

 

・中氏は高校時代に週刊少年サンデー派だったため、週刊少年ジャンプ派の友人が何かと推してくる「北斗の拳」が嫌いだった。しかし、『北斗の拳』でエネミー全般を作るとなった時、勉強のために初めて原作漫画を読んだとのこと。格闘アクションの作り方に苦心していた中氏は、悩んだ末にプレイヤーが攻撃を出したら避ける……という「姑息なアルゴリズム」(中氏)を採用。そのことに罪悪感を持っていたという。しかしそれが結果的に“プレイヤーにどうやったら勝てるのか?”を考えさせるバランスとしてうまいことまとまったため世間に評価されたのでは……と自己分析した。

 

・勝手に作っていたFM音源ボードの存在が上司に知れたことで、周辺機“FMサウンドユニット”として製品化された。後に“FM音源搭載”をウリにしたセガマスターシステム(1987年)が発売されたことから「僕がそれ(FM音源ボードを勝手に作り、移植版『アウトラン』を勝手にFM音源対応させていたこと)をやっていなかったらマスターシステムの存在はなかったかもしれない」と嘯いた。

■メガドライブ編

 

・ローンチタイトルの『スペースハリアー2』を作るよう上司に指名された中氏だが、『スペースハリアー』を愛するあまり「アーケード版移植ならまだしも2なんて作りたくない。僕が勝手に作っていいわけないじゃないですか!」と断り、もう一方の『スーパーサンダーブレード』を選んだ。しかしオリジナルのアーケード版『サンダーブレード』が、スプライトの拡大縮小処理を鬼のようにしている“やり過ぎ感満載なゲーム”のため、「ローンチのくせにハードの限界を超えた使い方をしなければいけない」と早々に後悔。開発期間は約2か月。「恥ずかしいところがいっぱいあってあまり見返したくないですね」と中氏。

 

・『ファンタシースターII 還らざる時の終わりに』は、前作(中氏初のオリジナルタイトルとなったセガマークIII用RPG『ファンタシースター』)が売れたから……という流れで開発することに。紆余曲折あって完成したが、エンディングが「あれっ?」というところで終わっている点や、ネイが死ぬ展開を採用したことについては、「作る期間が短かく(中身の方向性を)判断するタイミングが少しずつしかなかったので、こういうゲームになったのかな」(中氏)と振り返った。その一方で「いろいろ申し訳ないけど、そのぶん伝説になっているのでは」とも。

 

・『ファンタシースターII』で採用されているセーブデータの修復機能は、4つのセーブスロットそれぞれに予備のコピースロットが1つずつあてがわれていて(※合計8スロット構成)、メインスロットのデータが破損している際にコピースロットのデータが上書きされる……という仕組み。修復作業自体は一瞬で完了するが、それでは味気ないので、修復過程の演出を入れたとのこと。中氏がこの機能を採用する直接のきっかけとなったのは、セガマークIII時代に“蒲田にある会社の社長”と名乗る男性がセガにやってきた時のエピソード。「お前のところの『ファンタシースター』ってのをやっているんだけど××にある宝箱が開かない。どうしてくれるんだ」と営業担当相手に怒り、挙句「俺は仕事せずにいつも会社でゲームやっているんだ。これを直さない限り帰らない!」と言い出した。営業から相談を受け、男性が持ってきたゲームソフトを中氏が預かってメモリをダンプしたら、宝箱の開閉チェック用のパラメーターが明らかにおかしくなっていたのだという。その場はプログラムを書き直して返すことで事なきを得たが、今回の件で“ゲーム機本体の過電流・コンデンサの逆流に起因するゲームソフトのメモリ破壊”の実例を確認できた中氏は「またそのおじさんが来ないように」と、万全の体制を整えたのだという。とはいえ最新ハードのメガドライブでは滅多にないのでは……と思っていたが、後にカートリッジを本体スロットに挿した瞬間にわりと頻繁に起こることが判明。「気を利かせて作っておいてよかった」と安堵したという。

■その他・中氏の人物像など

 

・命じてもいないのに勝手に何を作っていて、それが非常に魅力的。会議の場ではお偉いさん方に臆することなく条件交渉(「納期は守るからROM容量を増やしてくれ」など)できる……という若手プログラマー(中氏)は、当時のセガ社内ではまさに「生意気でゴメン」という存在だったのでは。

 

・セガ入社時からつねにライバルハード(ファミコンなど)を意識せざるをえないゲーム作りをしてきた……と語った中氏。本人的に手ごたえのあった『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』(1991年)の完成時に社内評価がまったく上がらなかったことで退社を決めたというエピソードが、何ともせつない。

 

・ゲーム開発は「マスターアップ前日が一番楽しい」と中氏。その時の気持ちを「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(押井守監督の劇場映画)になぞらえて「なぜラムちゃんのように毎日この日が続かないんだろう」と振り返るあたり、当時の模範的(?)なアニメオタクという感じがする。

 

・生の中氏を見たのは今回が初めてでしたが、イベント中の話しぶりから、目の前の人を楽しませようとする気さくな人柄であることが伝わってきました。

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