ゲームビジネスアーカイブ 第4回トークライブ・めが◎らが熱くなりました
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ゲームビジネスアーカイブ 第4回トークライブ・めが◎らが熱くなりました

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かつてあったゲーム雑誌の偉い人たちが揃いました

2018.2.27、ゲーム業界人のオーラル・ヒストリーをアーカイブ化する活動“ゲームビジネスアーカイブ”が主催するトークライブの4回目が、東京・銀座松竹スクエアにて行われました。

 

今回のテーマは“メガドライブ雑誌編”

 

雑に解説すると、メガドライブとは、セガが1988年にリリースした家庭用ゲーム機のこと。リリース時は、CPUの実行処理速度の速さや、グラフィック・サウンド機能の高性能ぶりをアピールし、ファミコン(1983年・任天堂)やPCエンジン(1987年・NECホームエレクトロニクス)といった先発ハードとの差別化を図っていました。

 

その対応ゲームソフトやハードウェア関連の最新情報を主に扱う専門誌がメガドライブ雑誌というわけです。

 

登壇者は、徳間書店(徳間インターメディア)が発行していた“メガドライブFAN”の初代編集長・渡辺雅人氏と、同誌二代目編集長の相沢浩仁氏。

 

そして、トークライブの司会進行を務める川口洋司氏は、ソフトバンク(日本ソフトバンク)が発行していた“BEEP! メガドライブ(以下、BEメガ)”の立ち上げ人&編集長……ということで、1980年代終盤から1990年代前半のゲームシーンを彩った二大メガドライブ情報誌のビジネス的側面を知るキーパーソンが一堂に会したことになります(角川書店発行の“マル勝メガドライブ”は、今回のテーマとはちょっと違ったみたいです)。

 

トークは、当時の誌面や未公開資料などをプロジェクターで映しつつ、各登壇者がそれぞれの立場で見たこと経験したことを思い出話風に語っていきました。

 

30代中盤から徳間インターメディアに入社し、同社発行のPCエンジン情報誌“PC Engine FAN”の2代目編集長を経て、その増刊からスタートした“メガドライブFAN”の初代編集長となった渡辺氏。

 

創刊の経緯については、ソフトバンクが“Beep! メガドライブ別冊”(後述)を出したことで、「競合誌がないとまずいんじゃないの?」という流れが社内にできたから……とのこと。「上の方で、全ハード網羅という意地もあったのかもしれませんね」(渡辺氏)

 

最盛期は発行部数100万部を超えていたというファミコン情報誌“ファミリーコンピュータMagazine”で、PCエンジン、メガドライブの情報コーナーを担当していた経緯から、メガドライブFANの二代目編集長となった相沢氏。

 

当時の編集部内での、メガドライブの印象について「現場スタッフは若いゲーム好きが多く、皆『ゲーセンのゲームが家で遊べる!』と目を輝かせていました」と語りました。

 

まったくの余談ですが、筆者(@gtozka)にとっての相沢氏は、ファミ通Xbox/Xbox360(いずれも現・Gzブレイン発行)編集長時代の髭たくわえフェイスの印象だったため、今回のイベントでさっぱりしたお顔を拝見した時はビビりまくりました。

 

1984年創刊のテレビゲーム総合情報誌“Beep”の休刊時の編集長で、その期間と並行してBEメガの立ち上げに尽力した川口氏。

 

Beep編集長就任時、部署は赤字続きで、社長(ソフトバンクグループ創設者の孫正義氏)からはずっと「休刊しろ(※意訳)」「うちはいますぐにもゲームから撤退したっていいんだ(※意訳)」と言われ続けていたそうです。

 

国内初のテレビゲーム専門誌とされるBeepの歴史を終わらせるのが忍びなかった川口氏は、リリースされたばかりの家庭用ゲーム機・メガドライブの専門誌としてその魂を継承することを決意。当時のセガの広報担当者に話を取りつけておくなど水面下で動き、Beep休刊から間髪を入れずに、“BEEP! メガドライブ別冊”の発行にこぎつけました。

 

この別冊はだいぶ売れたそうですが、社内での不信感は依然強いまま。そうこうしているうちにセガの広報担当者から「徳間(インターメディア)がメガドライブ情報誌を出したいって言ってきたんだけどそっちはどうするんだ?(※意訳)」という連絡がきて万策尽きかけた川口氏ですが、社長に直談判して、何とか季刊誌としてスタートさせることができたそうです。

 

これが孫氏の「やりましょう」の始まりと言われています(大嘘)。

 

本物の企画書をプロジェクターに映しながらBEメガ立ち上げ時のいきさつを振り返る川口氏。

 

「もう時効だろうから」と、別冊・季刊時代の粗利益表まで公開してしまいました。

 

当時、一般的な知名度という点ではまだまだだったセガというゲーム会社のハード専用の雑誌を刊行することに懐疑的だった上層部を説得するため、国民的ゲーム機ファミコンの後継機種”スーパーファミコン”の専門誌も同時に立ち上げる……という”抱き合わせ案”を提出したとのこと。

 

実際、“Theスーパーファミコン”という隔週刊誌が本体発売(1990.11.21)とほぼ同時期に創刊され、以降数年にわたりゲーム出版事業部の稼ぎ頭として君臨し続けたからBEメガも存続できていたフシがあったようです。

 

メガドライブFANのエピソードあれこれ

アーケードゲーム好きなコアゲーマー層を対象に、クリエイターや企業にフォーカスした誌面作りを心がけていたというメガドライブFAN。

 

読者アンケートはがきの集計結果などを参考にしながら注目度の高いタイトルの情報を中心に構成していったとのことですが、お話を伺う限り、「セガ社員の名刺を1000枚集める」という個人的な目標を立てて精力的に取材を行っていた相沢氏個人の熱量が、原動力になっていたように思われます。

 

読者アンケートには、某メーカーからの“組織票”と思われる不自然なものも。「なぜこのタイトル?」という素朴な疑問とはがきの送り主の住所が、認定の決め手になったようです。もちろん、そういったものは差し引いた上で構成していたとのこと。

 

そこに川口氏が「組織票はBEメガにも届きました」と嬉しそうに乗っかり、「池袋とか大塚とかから……」と、当時のメーカー事情を知る人にはバレバレな失言を振りまいていました。

 

『ジノーグ』『重装機兵ヴァルケン』などのグラフィックを手がけ、メガドライブFANの表紙イラストを担当し続けたイラストレーター・仲井さとし(中井覚)氏の話題になった時、『アドバンスド大戦略』の特集が組まれた号の表紙イラストが、国際情勢を配慮して急きょ差し替え(描き直し)になったエピソードが明かされました。

 

中井氏は本イベントのためにその没イラスト(右画像)を送ってくれたそうですが、一緒に寄せられたコメントが完全に恨み節でした(笑)。

 

BEEP!メガドライブのエピソードあれこれ

対するBEメガは、Beepからスライドしたクセが強い少人数の編集スタッフによる、自由かつチープな誌面作りが行われていたそうです。

 

マンパワーが圧倒的に足りないということで外注ライターや編集プロダクションにゲーム紹介記事を任せたり、著名人にはコラムを依頼。

 

発売タイトルが少なくネタもないということで読者アンケート特集やメガドライブアカデミー賞といった企画をでっち上げてみたりと、初期のころは相当苦肉の策を弄していたようです(当時の読者としては、そういったコーナーにこそBEメガならではの魅力を感じたものですが)。

 

雑誌が月刊化してからは、“個々の編集スタッフが好き勝手やる雑誌”という持ち味を残しつつ、少しでも多くの情報をとのことから誌面の文字が小さくなったり、メーカーが直接情報を発信できるコーナーを設けたりといった方向性に、徐々にシフトしていきました。

 

WARP設立前の故・飯野賢治氏の連載コーナーを紹介する際、川口氏は、ゲームビジネスアーカイブの活動を始めた契機が、飯野氏の葬儀に参列した時であることをしんみりと明かしました。

 

中期以降の看板コーナー“BEメガ読者レース”について振り返る際には、会場に訪れていた当時の担当編集者・西村亨氏(現ソフトバンク・サイバー大学客員教授)が壇上に呼び出されました。

 

コーナー誕生のきっかけは、4人の担当ライターが新作ゲームを寸評するいわゆるクロスレビュー的なコーナー“BEメガドッグレース”の担当時に感じた違和感だったと語る西村氏。

 

思いきり要約すると「ゲームの評価は時代ごとの価値観の変化によって変わるものであり、担当ライターがその時のフィーリングで下した評価が絶対的なものとして以降も残り続けるのはおかしい」ということ。

 

それを解消する手段としてリアルタイムな評価の変動を毎月の読者はがきで“見える化”したことは同コーナーの画期的な点であり、またある面ではメガドライブユーザーの内輪的志向に拍車をかけた要因だったのかなとも思います。

 

この他にも、取材しやすかった/しにくかったメーカーの話や、それぞれにとって思い出深いメガドライブソフトの話などが赤裸々に語られました。

 

そして終盤なぜか、渡辺氏が徳間インターメディアを退社する意向を固めていたタイミングでヘッドハンティングされ入社したセガの新規部署(後のG-SAT)で開発したゲームソフト『ドラえもん 夢どろぼうと7人のゴザンス』(メガドライブ用)と『いしいひさいちの大政界』(メガCD用)の画面が大々的に紹介されました。

 

この話題の時の川口氏の、なんとも悪戯っぽい佇まいが印象的でした。

 

全体を通しての個人的な感想は、当時のメガドライブのメディアシーンは、ごく一部のキーパーソンの心意気によって成り立っていたんだなということ。

 

私は1991年から外注ライターとしてBEメガ編集部に出入りするようになり、それはまあ好きにやらせていただいていたつもりだったのですが、その裏で川口氏が、二誌の編集長権限でBEメガ制作の人件費をTheスーパーファミコンの予算から捻出していた……と今回のイベントで初めて知り、「当時自分のやっていたことはお釈迦さまの手の内の出来事だったのか」と、少なからずショックを受けました。

 

IT系企業の新興出版事業が構造的に儲かりにくかった時代に、なぜあえて川口氏はBEメガを存続させようとしていたのか?

 

それは、Beep休刊間近の時に寄せられた読者はがきに書かれていた「(誌面でずっと手厚く紹介してきた)セガの灯を消さないでください!」という訴えに報いるためだったそうです。

 

だからBEメガが、発売前から大きな話題となっていたメガドライブの後継機“セガサターン”の専門誌(セガサターンマガジン)に切り替わる時は、その約束はもう果たしたと思い、雑誌名にBEEPの冠をつける気はなかったとのことでした(※その後のセガ・コンシューマ・ヒストリーについてはまた別のお話)。

 

名も知らぬ一人の読者との約束に殉じた……というストーリーは出来すぎですが、いまもって熱いファンが多数いるメガドライブらしい関連エピソードだと思います。

 

以下、余談というか告知というか

BEメガの誌面紹介の際に、私が担当していた時期のおたよりコーナーが、見開きでプロジェクターに映し出されました。

 

おまけに「メガドラ恥ずかシーン(コーナー名)とか好きだったんですけどね」との川口氏のリップサービスもあり、調子にのって当時の記憶のフタがパカパカと開きだしました。

そういえば今年の10月でメガドライブ発売30周年。

 

ビジネスには程遠い、当時のライター、アルバイト、ヒラ編集者目線のBEメガ&90年代ゲームメディア回顧話の需要があれば、当時の関係者を募ってなんかの形でやってみるのもいいかなと思い立ちました。

 

こうした試みに関してのご意見お寄せください!

■「ゲームビジネスアーカイブ」公式サイトはこちら

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2 Responses

  1. KABU
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    当時の一読者として、会場で何が話されてるのかとても気になっておりました。記事にしてくださりありがとうございます。会場の空気が伝わってきました。

    自分は、未だに当時のメガドラ読者コーナー(ハガキ職人)の方たちと交流があります。メガドラゲーム雑誌の役割は、記事以外にも、読者同士の固い絆を残してくれました。自分たちにとって、かけがいのない存在です。

    また当時の懐かし話がありましたらよろしくお願いします。

  2. GamesoldierJP
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    > KABUさん

    お役に立てて何よりです! 細かいネタは結構端折ってしまいましたが、だいたいの流れは押さえられたのかなと。

    読者の皆さんの交流がずっと続いているのは、当時の雑誌に関わっていた者としても嬉しい限りです。

    BEメガで読者コーナーを担当していた時、いろんな意味でのバランスをとりながらおたよりの採否を決めていた甲斐があった…のかな?(笑)

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